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【目次】

〇上司との和解
〇誰も見捨てない
〇著名人と聖書28回「C・S・ルイス」
〇親不孝な息子と愛に満ちた父
〇コラム「絆創膏のように」

<概要>

〇上司との和解
人には、誰でも苦手な人の一人はいると思います。(末尾に全文を掲載しています。)

〇誰も見捨てない
電車に乗っていると、「ただいま急病人の救護を行っております。しばらくおまちください。」という案内を聞くことがあります。これが、通勤・通学時間帯だと大変ですが、ひとりの救護が優先されます。皆さんはこのようなことをどう思うでしょうか。
さて、新約聖書には、百匹の羊を持っている人が迷っていなくなった一匹を探すために、九十九匹の羊を野に残すというたとえ話があります。

〇著名人と聖書28回「C・S・ルイス」(1898〜1963)
ルイスは若い頃は徹底した無神論者でした。1931年に父の死を契機にキリスト信仰を持つに至りました。ルイスは大学教授であると同時に児童文学作家でもありました。1950年に「ナルニア国物語」のシリーズを書き始め、その最初が「ライオンと魔女」でした。

〇親不孝な息子と愛に満ちた父
聖書の中に、イエス・キリストが語られた、たとえ話がいくつもあります。その中でも有名なのが「放蕩息子」でしょう。
親不孝な弟息子、子を愛して止まない父と自分を重ねながら、味わってください。

Column「絆創膏のように」

主は心の打ち砕かれた者を癒やし、彼らの傷を包まれる。」(詩篇147篇3節)

幼い子どもたちはケガをすると、その傷を癒やして欲しいと泣き求めます。そして絆創膏を貼ってあげると、不思議と泣き止みます。絆創膏によってその傷が覆われると、安心感が得られるからだと思います。

聖書では、私たち人間は全員、罪という傷があると伝えています。そしてその罪は、表面の一部にだけあるものではなく、体の内側全体にあり、直接目には見えないけれども、私たちは全身ボロボロの傷だらけの状態だということです。

ただ、人は年を重ねるごとに、その罪(傷)があって当たり前になってしまい、子どもたちのように純粋に、包んでほしいという思いが失われてくるように思われます。しかし、その罪を放置していれば、その先には、前進ボロボロのまま苦しみ続ける場所、すなわち地獄に行ってしまうと、聖書は警告しています。

ところが、そのひとの罪という傷を覆い、癒やしてくださるお方がおられます。そのお方が「主イエス・キリスト」です。

どうか、聖書を読まれてこの方のことを知り、幼い子どものように純粋な気持ちで、このお方に対し、その傷が癒やされるように求めてください。

〇 上司との和解

人には、誰でも苦手な人の一人はいると思います。
自分にとってはそれは会社の上司でした。というのも、その上司は、自分にだけしつこく怒鳴ってくるからです。

それでとうとう私は耐えきれなくなって、上の人に頼んで部署を変えてもらいました。しかし、新しい部署に移ってから数か月もたつと、だんだん「あの人に対して悪いことをしていたなぁ。」と感じるようになりました。

そんなある時、「人数が足りないから元の部署で午前中だけ働いてくれ」と上の方から言われ、なんと異動したにも関わらず、また元の上司と働くこととなったのです。私はこれを上司との信頼を回復するチャンスだと捉え、一生懸命に働きました。

その体制で働き始めてからかなりの期間がたった時、ひょんなことからその上司と食事する機会がありました。その時に私はチャンスだと思い、「あの時はすみませんでした。自分が120%悪かったです。あの時、本当に自分のために叱ってくださってありがとうございました。」と謝ることができました。

すると上司は「やっと俺の言うことがわかってくれたか!」と、冗談まじりにも私との和解を受け入れてくれました。

聖書の中のたとえ話に出てくる放蕩息子は、父の財産を使いは果たしてしまった時、ふと我に返り、こう言いました。
立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。
『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。
』」
(ルカの福音書15章18節)

すると父は、まだ家から遠いのに息子を見つけ抱いて口づけしました。聖書は、私たちが神様に対して罪を犯していると知った時、ありのままの姿で「神様。ごめんなさい」と言うことを勧めています。神さまはそれを快く受けとめてくださるからです。