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【目次】
〇木の葉
〇相談相手
〇著名人と聖書29回「石井十次」
〇天国へ行けた強盗
<概要>
〇木の葉
紅葉を見ると、ときどき故・星野富弘さんの詩を思い出します。
木にある時は 枝にゆだね
枝を離れれば 風にまかせ
地に落ちれば 土と眠る
私たちの人生は本当にわずかなものです。しかし、神さまはご自分を信じる人の人生を、とても価値あるものとみなされます。
「みことばによく通じた者は幸いを見出す。
主により頼む者は幸いである。」箴言16章20節
聖書からイエス・キリストを見いだし、この方に信頼していただきたいと思います。
〇相談相手
私たちは、わからないことや、困ったことがあった場合、どうしているでしょうか?最近だとAIに尋ねる方もいるかもしれませんね。
旧約聖書には、次のように記された知恵者中の知恵者がいます。
「神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心を与えられた。
…そのため、彼の名声は周辺のすべての国々に広まった。」列王記第一4章29〜31節
このソロモンにシェバという国の女王があらゆる質問をするために訪れました。女王は
「私が国であなたの事績とあなたの知恵について聞き及んでいたことは、本当でした。私は自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じなかったのですが、なんと、私はその半分も知らされていなかった。」列王記第一10章6〜7節
神さまは豊かな知恵をソロモン王に与えました。また、神さまはソロモンを通して、「箴言(しんげん)」と「伝道者の書」という知恵の書を旧約聖書に与えてくださいました。
神さまは、御子(みこ)であるイエス様を私たちに遣わしてくださり、次の言葉を私たちに示してくださっています。
「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたし(イエス・キリスト)のもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
…そうすれば、たましいに安らぎを得ます。」マタイの福音書11章28〜29節
〇著名人と聖書29回「石井十次」(1865〜1914)
石井十次は、日本で孤児院を初めて開設し、「日本の児童福祉の父」として知られています。彼は岡山県医学校で学んでいた時、キリスト信仰に導かれました。
彼は、「自分が神を信じた幸福を感じると同時に、世の中にはいまだ天地の主なる神様を知らずに精神的孤児の生活をして苦しんでおられる同胞が沢山あることを思い、実に気の毒に耐えられないのであります。」と手記を残しています。
〇天国へ行けた強盗
イエス・キリストが十字架で死なれたということは、誰もが知っていることと思いますが、その際、その十字架の両脇で、同じ刑に処せられて死んだ人たちがいることはご存知でしょうか?
十字架に架けられた二人の強盗の言葉を聖書には、次のように記されています。
「『おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え』と言った。
すると、もう一人が彼をたしなめて言った。
『おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことは何もしていない。』」ルカの福音書23章43節
二人の強盗は同じ死に方をしましたが、一人は天国に、一人は地獄に行くこととなりました。私たちの人生の行き先はみな死でありますが、死後の行き先は同じではありません。
Column「決して渇くことのない水」
秋は収穫の時季で、世界各地で様々なお祭りが行われます。日本でも例外ではありませんが、皆さんもお祭りに参加する中で、この時間がずっと続いてほしいと考えたことがあるのではないでしょうか。
しかし、楽しい時間は必ず終わりを迎え、充実した気持ちが続くことはありません。それはなぜかというと、神様によって創造された人間が、今は創造主から遠く離れてしまい、心が満たされなくなっているからです。
ユダヤ人たちの祭りが終わろうとしている最後の日、イエス・キリストはこのように語られました。
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」ヨハネの福音書7章37節
このことばは、のどの渇きではなく、心の渇きについて語っています。水は、私たちの生命を維持するために、また作物を育てるために、必要不可欠なものです。しかし水は、私たちの心の渇きまでいやすことはできません。その渇きの原因は、私たちの心の中に存在する罪にあるからです。
イエス・キリストはそんな人間の罪の身代わりとして十字架にかかられました。イエス・キリストを信じる時、私たちの罪は赦され、本当の意味で心が満たされるのです。












