聖書の福音をあらゆる角度からお伝えるする月刊小冊子で、ご希望の方に毎月無料でお送りしております。
問合せページからお申込みください。
【目次】
〇神様が見ています
〇熊の脅威と日常のリスク
〇命を損じたら
〇いのちのパンについて
〇著名人と聖書代30回 森鴎外
〇Column 基準点
< 概 要 >
〇神様が見ています
「トイレットペーパーの持ち帰りは絶対にやめて!
神様が見ています。」という、公衆トイレの貼り紙を見ました。
人はしばしば「見ている神」を警告に利用します。
聖書の語る神様は、私たち一人ひとりをご覧になっておられます。神様は悪い行いをする私たちを憎み、罰を与えたくて見張っているのでしょうか?
「あなたを守る方はまどろむこともない。」詩篇121篇3節
この「守る」という言葉は見守るというニュアンスを持ちます。その愛のまなざしに、気づいておられますか?この聖書の愛をあなたに伝えることを最大の目的として、聖書は書かれたのです。
〇熊の脅威と日常のリスク
今年に入り熊の出没が頻発しています。実はこの出没状況はすでに数年前からのものです。
そんな中、「山は怖いですね」というと、知人は「今はどこでも同じじゃない?都会では刺殺事件もあるし、交通事故で亡くなる人も多い。自然災害も増えているし、むしろ平地の方が危ないくらい」と答えました。
結局のところ、どんな場所であっても人命が危機に晒されるリスクは、存在します。現在の熊問題に対し、その原因を整理し、社会的に対策を講ずることは、日常生活の安心と生命を守る上でとても大切なことです。
しかし、避けることができない、神が定められた死と死後のさばきに対し、真摯に向き合って備えることは、熊以上に重要なことではないでしょうか。
〇命を損じたら
全世界を手に入れても
命を損じたら何になろう
…
もし あなたが神様の前に
本当につまらないなら
あなたは生まれて来なかっただろう
神様は それほど
あなたを愛しておられる
…
〇いのちのパンについて
今、世界には、食べ物に事欠いて植えている子供たちがたくさんいます。しかし、もし、その食べ物が用意されて、十分に食べることができるようになったとしても、なお満たされるためには必要なものがあります。体の健康が保たれても、私たちはなお、心の中は飢え渇くのです。
「わたしがいのちのパンです。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は、どんなときにも、決して渇くことがありません。」ヨハネの福音書6章35節
自らを「いのちのパン」と言われたイエス様は、文字通りの、本当の「いのち」を私たちに与えることができます。
「神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ヨハネの福音書3章16節
神は、私たちをさばくのではなく、永遠のいのちを与えてくださる方です。
〇著名人と聖書 第30回 森鴎外(1862〜1922)
森鴎外は、島根県津和野に生まれ、東京大学医学部を卒業し、陸軍に軍医として迎えられ、約4年間ドイツに留学します。45歳のとき、陸軍の軍医のトップの地位に就きます。また、夏目漱石と並ぶ文豪として世間の注目を浴びてきました。
『妄想』
鴎外49歳の作品です。主人公は、過去を振り返り、自分の人生が仮面を被って演技しているようなものだと正直に吐露します。
鴎外は、真の生きがい、真の自己、真の幸福を追求しましたが、見いだすことができませんでした。
「かのように」の哲学
鴎外の人生観は、ドイツ留学中に厭世哲学(えんせいてつがく)、虚無主義に触れることによって形成されます。それは確固とした価値を否定し、「すべてが虚しい」とする考え方ですが、哲学者ハンス・ファイヒンガーの「かのような哲学」という著書に自己の生き方の支えを見いだします。「自分の本当の姿を隠し、仮面を付けて生きる」ということでした。
鴎外の遺言
「死は一切を打ち切る重大事件なり、如何なる官権威力といえども、これに反抗することを得ずと信ず。余は、石見人(いわみじん:島根県西部出身者)森林太郎として死せんと欲す。宮内省、陸軍省のあらゆる外形的取り扱いを辞する。」という遺言を残し、肺結核のため60歳で亡くなりました。
鴎外と聖書
鴎外は、短編『鎚一下(ついいっか)」において、山口県の「秋吉台の聖者」と呼ばれ、多くの不遇な青年をキリストの精神をもって雇っているクリスチャン実業家・本間俊平(小説の中では”H君”)のことを感動をもって紹介しています。
鴎外は、中国語の漢訳聖書を精読していました。東京大学図書館の鴎外文庫には、聖書の和訳1冊、ドイツ語訳、英語訳が保管されています。彼の最晩年に、短歌雑誌『明星』に連載した『古い手帳から」(1021〜22年)に、一文「基督」を書き、「金持ちは天の御国に入るのは難しいことです。」マタイの福音書19章23節といったイエスのことばを紹介しています。
Column 基準点
私は建築の仕事に携わっていますが、建物を設計する上で大切な事柄があります。それは基準点をしっかり決めることです。その基準点が定まらないと、基礎の高さや位置が決まらず、上に建てていく骨組みが建てられなくなってしまいます。ですから基準点をもとに、実際の寸法を設計図に基づいて計測し、墨付けしていくことになります。
こうした基準点というのは、建築に限らず、色々なところに必要なものではないでしょうか。私たちがお伝えする創造主、神様のみことば(聖書)は、人生を築き上げていく上での大切な基準点です。多くの人は、この神様の基準を知らずに、または聞いていても無視して歩んでいます。それは自分を基準にしている、的外れな歩み(罪)であると聖書は警告します。この基準から外れてしまうことによって、世界では戦争が起こり、犯罪が絶えず、人は多くの問題を抱えることになっているとも言えます。ぜひ聖書をお読みになって、あなたの人生の基礎となる、正しい基準点を知ってください。










