聖書の福音をあらゆる角度からお伝えする月刊小冊子です。
ご希望の方に毎月無料でお送りしております。
問合せページからお申込みください。

【目 次】

  • 心のマスク
    • 知人の女性が言っていました。「もう人前でマスクを外すのが、恥ずかしく感じて…」、マスクを外すと本当の自分が見られるようで…。さて、あなたは心にマスクを着けてませんか。そのマスクは、あなたと神様との「壁」になっていませんか。
  • 死について
    • それまで「他人事」だった「死」が、父の訃報に接し、「自分事」として眼前に迫ってきた。…亡くなった父も信じた「イエス・キリストの救い」について、振り返ります。
  • この意味教えてーナザレー
    • ナザレとは、当時ガリラヤ地方にあった貧しい町の名称です。イエス様は、30歳になられるまで、家族と一緒にナザレで過ごされました。(文中より)
  • 防人の歌と聖書
    • 今、世界では戦争が引き続いています。離れ離れになった家族の悲しみは昔も今も同じです。
      イエス様は、戦争のためではありませんが、離れ離れになった家族の話をされました。「放蕩息子」の例え話です。(文中より)
  • 地獄の話
    • 聖書も確かに難しいこともいろいろ書いていますが、ここでご紹介したみことばのように、救いの条件自体はとてもシンプルで、子どもでも理解することのできるものです。(文中より)

COLUMN  「いごっそう」

私の生まれ育った高知県では土佐男児を表現する「いごっそう」ということばがあります。「頑固者」を指すことばで、あまり良い意味で使われることはありません。「他人に何と言われても自分の信念を貫く人」と言えば聞こえがいいですが。「何度間違いを指摘されても非を認めない人」とも言えます。誰しも間違いを指摘されるのは嫌なものですが、親切な助言は感謝して受け入れたいものです。

聖書はすべての人が創造主なる神様に対して間違った生き方をしていると宣告しています。「創造主なるわたしを無視しているあなたの生き方は間違っている」という神様の御声を聞くときあなたは間違いを認めるでしょうか?それとも間違いを認めたくない「いごっそう」でしょうか?神様は私たちが頑固者ではなく、柔和な者となり、自分ではなく神様が正しいと認めて生きるようになることを願っておられます。

「今日
 もし御声を聞くなら
 あなたがたの心を頑なにしてはならない。」(詩篇95篇7、8節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」(マタイの福音書5章5節)