聖書の福音をあらゆる角度からお伝えする月刊小冊子です。
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【目 次】
- 不安から平安へ
- がんは年齢が上がるほど発症する人の割合が高くなり、二人にひとりはがんになります。数十年前には「がんの告知」は殆ど行われていませんでした。それは「死に直面」することであり、「自分自身の存在そのものを考えざるをえないところに立たされる」からだったのでしょう。治療方法の進歩で殆どのがんが治療できるようになり、現在は普通に告知されます。
では、「不安」は解消されたのでしょうか。イエスは「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。」(ヨハネの福音書14章27節)と言われ ました。聖書を通して、このイエスの与えてくださる創造主(神)との和解の道をお知りになり、平安な人生を送られる方となられますよう、お勧めします。(本文より一部再構成)
- がんは年齢が上がるほど発症する人の割合が高くなり、二人にひとりはがんになります。数十年前には「がんの告知」は殆ど行われていませんでした。それは「死に直面」することであり、「自分自身の存在そのものを考えざるをえないところに立たされる」からだったのでしょう。治療方法の進歩で殆どのがんが治療できるようになり、現在は普通に告知されます。
- 神様がいるなら
- 世の中で戦争や大きな事件や災害、極度な不平等や貧富の差などの悲惨な光景を目の当たりにする時、聞こえてくるのが、「神様がいるならどうしてこんな事を許しておかれるのか、なぜこんな世界に造られたのか。」という言葉です。そのように考えられるのは無理からぬことと思うのです。(文中より)
聖書には、「神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。」(創世記1章31節)と記され、この非常に良い状態を壊したのは、「人の罪だ」とはっきり示されています。それと同時に、聖書には世の中の混乱から人間を救われるイエス・キリストについて、明解に記されています。
- 世の中で戦争や大きな事件や災害、極度な不平等や貧富の差などの悲惨な光景を目の当たりにする時、聞こえてくるのが、「神様がいるならどうしてこんな事を許しておかれるのか、なぜこんな世界に造られたのか。」という言葉です。そのように考えられるのは無理からぬことと思うのです。(文中より)
- 私たちと聖書ー山部赤人の和歌と聖書
- 「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」(百人一首)・・・この和歌から、現代の私たちでさえ、壮大な自然を共感できます。この自然も偉大な神様がなさった創造のわざです。…「偉大さ」とはある意味、このような感覚的なものなのかもしれません。真に偉大なるものの前に私たちが立った時、私たちがまず感じることは「恐ろしさ」だと思います。確かに神様は愛なる方です。そして同時に神様は恐るべき御方です。(本文より一部再構成)
- この意味教えてーハデス
- 人はそれぞれ、死後と永遠について、自分の考え方や思いを語りますが、すべては各人の想像と願望の産物であると言えます。なぜならば、私たちには、死後と永遠については隠されていて、だれにも分からないからです。しかし、神の子イエス様が、よみを隠しているカーテンを開いて、その一部を私たちに見せてくださいました。…今回は、神の救いを拒んだ人たちが行かなければならない「ハデス」について説明します。(本文より一部再構成)
- 聞く耳と種
- イエス・キリストはたとえ話をされた後に、「聞く耳のある者は聞きなさい。」とおっしゃいました。それは、すぐには分からなくても、諦めずに、その意味を理解したいという思いを持ち続け、継続して聞き続けること、とも理解できます。
また、「種は神のことばです」とも教えられました。それは、私たちがイエス様を信じ、永遠のいのちを手に入れること、それが豊かな実を結ばせることにつながる、とも理解できます。…このようにイエス・キリストに関することばに耳を傾けることは、信仰(救い)に至る第一歩となるわけですから、とても重要なことなのです。(本文より一部再構成)
- イエス・キリストはたとえ話をされた後に、「聞く耳のある者は聞きなさい。」とおっしゃいました。それは、すぐには分からなくても、諦めずに、その意味を理解したいという思いを持ち続け、継続して聞き続けること、とも理解できます。
COLUMN 「真理の探究」
3月は卒業の時期です。高校・大学生にとって、卒業旅行に行くことが一般的になりつつあるようです。
ディズニーランドやユニバーサルスタジオといったテーマパークも人気なようです。人によっては卒業旅行に限らず、そこには何度も足を運んだりして、まるで「夢の国」のようなところなのかもしれません。
ひと時、現実世界を忘れて、そこで好きなキャラクターや気の置けない友達と過ごすことは、若い人にとっては楽しいことでしょう。
しかし残念なことに、そのような楽しい夢のような時はつかの間で、けっして永遠に続くものではありません。
ところが聖書は、儚い夢の国よりもはるかに素晴らしい、「天国」が現実にあることを教えています。
天国は「死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。」(ヨハネの黙示録21章4節)ところです。
黄金の都で、あなたを誰よりも愛していてくださる最大の友イエス・キリストと、永遠にともに過ごすことが出来るのです。
死は、この世から卒業することです。
卒業した先に、もしそのような幸いなところに行ける方法があるとしたら、それは何と素晴らしいことでしょう。
ぜひこの小冊子や聖書をお読みになって、その方法についてお知りになってください。