北上市中野町で定期的に聖書を説き明かし、神の福音をお知らせする集会を行っております。お気軽においでください。
お知らせ

みちしるべ2023年9月号のご案内

聖書の福音をあらゆる角度からお伝えする月刊小冊子です。
ご希望の方に毎月無料でお送りしております。問合せページからお申込みください。

なお、電子書籍版についてはこちらで2024年9月まで閲覧可能です。

【目次】

○競争の世界から平和へ
あの激しいラグビーの試合は、主審の笛によって終わります。それは「ノーサイド」つまり「敵味方がなくなる」という意味で、試合後は互いの健闘をたたえ合い、別れます。しかし、こうしたきれい事が許されない熾烈な競争が、世の中に満ちています。
聖書は『何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。』(ヤコブの手紙4章1節)と問いかけます。
そして、この問いへの答えも記されています。『あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。』(ヤコブの手紙4章1節)と。
この欲望は、あなたの中にもあります。

○サステナブル
サステナブルは、本来「持続可能な」という意味ですが、地球の環境が悪化したために、「地球がもたない」という危機意識から「サステナブル」という考え方が注目されています。
真の意味で「サステナブルな世界」について、聖書から考えてみましょう。

○著名人と聖書(3)
ルターは、1505年落雷に遭い、それを「神の裁き」と感じ、修道士となって禁欲生活に取り組みました。しかし、自分の中にある「邪悪さ」に気づき、自分に絶望しました。
その後、大学で聖書講義を受け持ち、聖書を読み返すことで、それまでは「神の義」を通して「自分への憎悪」が増していたのですが、
すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。』(ローマ人への手紙3章23〜24節)
この聖書の言葉で「信仰による義」を理解できたのです。

○この意味教えて「アガペー」
ギリシャ語には日本語の「愛」を表現する言葉が3つあります。「アガペー・フィレオー・エロース」です。神の愛が現された聖書の言葉として
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』(ヨハネの福音書3章16節)があります。
この聖書の言葉からも、アガペーをよく味わって救いを自分のものとしてください。

○ラザロのよみがえり
新約聖書ヨハネの福音書11章に、マルタ、マリア、ラザロの姉弟が登場します。この3人はイエス様と親しい交わりを持っていましたが、ラザロが病で亡くなります。家族の死を経験し、マルタとマリアも深い悲しみを味わいます。そこでイエス様は、マリアに寄り添い「涙を流され」ました。
この方(キリスト)は私たちが経験するすべての苦しみ、悲しみを理解することがおできになるのです。イエスは神であるのに、すべての人の罪を背負って十字架にかかるという、最もつらくて苦しい経験をもされました。

COLUMN  「当たり前」

「それは当たり前。」よく使う言葉です。
昨年の夏に私は踵(かかと)を骨折し、その時に2本の松葉杖での生活をしばらく経験しました。いままで、当たり前だと思っていた一つ一つがなんと有り難いことだったかを思い知らされました。
そもそも、生きていること、いえ、生かされていること自体、当たり前のことではないと思うのです。
さて、「当たり前」の語源として、漁などの共同作業で一人当たりに分配される取り分を「当たり前』と言い、それを受け取るのは当然の権利であることから「当然」の意味をもつようになった、という説があります。
要するに、行なったことに対する報酬とも言えますが、聖書にこのような一節があります。

罪から来る報酬は死です。
しかし、神の下さる賜物は、
私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
』(ローマ人への手紙6章23節)

私たちが「当たり前」に受けるべき罪の罰(報い)をイエス・キリストは代わりに受けてくださいました。そのことを信じる人に神は、永遠のいのちを報酬ではなく、賜物(恵み)として与えてくださいます。
「当たり前」としては、とても受けられないこの救いを「恵み」として、どうぞ受け取られてください。
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