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目次

○思い込みによる確信

先日友人に誘われて、人気の「豆乳ラーメン」を食べに行きました。汁が透明で豆乳臭さを見事に処理していると絶賛して完食したところ、店主から「豆乳を入れ忘れていた」と告げられ、改めて豆乳入りのラーメンを提供されました。思い込みとは、怖いものです。
私たちが確信をもって信じていたものが、偽物だったら取り返しのつかないことになるのです。特に私たちの人生の根幹に関わる事柄、つまり「死後」や「神」のことに関してなら、なおさらです。

○無謀な登山者

山形県と秋田県の県境を跨ぐ鳥海山は、「出羽富士」と呼ばれ、今月号の表紙の写真はその山頂から見た夕景です。
数年前の5月に登ったとき、軽装・無装備・無計画で入山した登山者と遭遇しました。その人は雪の降らない他県から来ていて、「月山には登れたから、大丈夫と思って」鳥海山に来たと言い、夕方になっていたのに下山しようとしていました。その夜は、冬のような寒さを避け、その人に私たちの食料などを分けてあげ、一緒に山小屋に一泊し、翌日無事に下山しました。
真理から迷い出た遭難者であることに気づくことができるなら、真の救助者であるイエス・キリストに救いを求めてください。

○著名人と聖書 No.23 【アウグスチヌス 354 〜 430】

アウグスチヌスの母は敬虔なクリスチャン、父は神に無関心で彼に立身出世を期待していました。アウグスチヌスの生涯は父の期待と、母の神への敬虔な心との間で二つに引き裂かれたものでした。
アウグスチヌスは紆余曲折を通して信仰に導かれた自らの歩みを回想して『告白(confessiones)』を著します。その中で「あなた(神)は、私たちを、ご自身に向けてお造りになりました。ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、安らぐ事は出来ないのです。」と述べています。

○神の国への招待

神の国(天国)とはどのようなところでしょうか。そこは永遠に悲しみや苦しみのない、神の救いを楽しみ喜ぶところです。神の国に入るには、神様からの招待状を断らないことが必要です。
神様からの私たちへの招待状、それが聖書です。もしあなたが神の国に入りたいのであれば、この世での興味関心事は、いったん置いておいて、聖書を開いて、神の国に入る方法について、知る必要があります。

COLUMUN 「神様のことばで生きる

日本人の主食は何かと聞かれると、お米と答える人が多いと思います。聖書に登場するユダヤ人たちは麦を栽培し、パンを主食として日々の生活を送っていました。
お米やパンに含まれる炭水化物は脳や体を動かすために必要な栄養素であり、人間が生きていくためにとても大切です。
では、食事の中心である主食の他に人間にとって必要なものについて、聖書はどのように語っているでしょうか。
人はパンだけで生きるのではなく、
神の口から出る一つ一つのことばで生きる
(マタイの福音書4章4節)
人間は最初、神様によって造られた時、神様から直接ことばを受け取り、そのことばによって生きる者でした。しかし罪が入ってきた時、人間の心は神様から離れ、いつしか自分の力だけで生きる者となりました。
それでも、神様は常に人間を気にかけ続けてくださり、今は聖書を通してご自身のことばを伝えようとしておられます。

その聖書は、イエス・キリストのことを私たちに伝えています。そして私たちはこの方の十字架の死が、自分のためであったと信じるとき、新しい人生が始まり、再び神様のことばによって生きるようになるのです。