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【目次】
〇疥癬(かいせん)の闇
〇神は愛です
〇神様の評価
〇神様とのコミュニケーション
〇著名人と聖書26回「宮沢賢治~後編~」
〇コラム「1人はみんなのために」
〇疥癬(かいせん)の闇
これは、ヒゼンダニというダニが皮膚に寄生して強いかゆみの出る病気です。実は、私は医師なのですが、かつて疥癬に罹患し、最初間違った診断のもと治療を受け、症状がどんどん悪化し、突発的に耐えがたい痒みを覚え、十分に睡眠も取れませんでした。軟膏が底をつき、その日はクリニックが休診だったので、別のクリニックを受診して、疥癬であると診断されました。間違った診断で、適切な治療がなされず、症状は悪化したのでした。
聖書では、「罪」という不治の病を、堂々と私たちに宣告します。
「罪」の診断が間違っていると悪化します。
私たちを適切に導く方は、このように仰っています。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。わたし(イエス・キリスト)が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」(マルコの福音書2章17節)
〇神は愛です
「旅人の 宿りせむ野に 霜降らば
わが子羽ぐくめ 天の鶴群」(詠み人知らず)
この歌の作者である母親の子供への気配り、心配りは、いつの時代の母親にも通じる所が多くあります。
しかし、その母親の愛にまさるものとして、旧約聖書にこのようなことばが記されています。
「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。
自分の胎の子をあわれまないだろうか。
たとえ女たちが忘れても、
このわたし(神)は、あなたを忘れない。
見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。
あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。」(イザヤ書49章14〜16節)
このような愛のメッセージを、聖書では、「福音(ふくいん)」と言います。すなわち「良い知らせ」”The Good News”です。
〇神様の評価
私の会社では年に2度上司と面談を行い、私のこれまでの仕事ぶりが評価されるタイミングがあります。
さて、私たちはそれぞれ個性があり、それぞれ違った人生を歩んでいますが、すべての人は共通して「死」という地上のゴールを迎えます。
私たちの過ごした人生が、神様の評価に耐えられるならばよいのですが。その時が来る前に、神様の視点から、物事や人間の在り様について考えてみる必要があります。
聖書は、神様の評価の視点について
「人はうわべを見るが、主は心を見る。」(サムエル記第一16章7節)
「人は死ぬとき 何一つ持って行くことはできず
その栄誉も その人を追って下ることはない。」(詩篇49篇17節)
「義人はいない。一人もいない。
…善を行う者はいない。だれ一人いない。」(ローマ人への手紙3章10,12節)
以上三つのポイントを示しています。
人間が神様の評価に耐えられるために、神さまが私たちに要求されたことは、何もありません。
むしろ神様の方から大きな犠牲を払ってくださいました。このことを聖書を通して知っていただきたいのです。
〇神様とのコミュニケーション
社会生活を送る上で重要とされるものの一つが、コミュニケーション能力です。
外国語を学び、相手の言っていることが理解できたとき、自分の思いが伝わったとき、大きな喜びがあります。
しかし、人間が失ってしまった重要なコミュニケーション能力があります。次の聖書のみことばが私たちの失ったコミュニケーション能力を指摘しています。
「見よ。主の手が短くて救えないのではない。
その耳が遠くて聞こえないのではない。
むしろ、あなたがたの咎が、
あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、
あなたがたの罪が御顔を隠させ、
聞いてくださらないようにしたのだ。」(イザヤ書59章1,2節)
神様は、預言者や聖書を通して人間に語りかけていらっしゃることを、聖書を通して知っていただきたいのです。
〇著名人と聖書26回「宮沢賢治~後編~」
宮沢賢治は、、未完の作品となった「学者アラムハラドの見た着物」において、アラムハラドに次のように言わせています。
「うん。さうだ。人はまことを求める。真理を求める。ほんとうの道を求めるのだ。人が道をもとめないでおられないことはちょうど鳥の飛ばないでいられないとおなじだ。おまえたちはよくおぼえなければいけない。人は善を愛し道を求めないでおられない。それが人の性質だ。」(原文のまま)
賢治は、「銀河鉄道の夜」で天国に迎え入れるキリストを描きました。サソリが自分の身を焼いて、燃える光となり、暗黒を照らしている姿は、イエス・キリストの十字架による愛の犠牲を彷彿とさせます。
このイエスを信じ、罪赦され、新しく生まれることに、賢治が求めていた本当の幸せがあるのではないでしょうか。
COLUMUN 1人はみんなのために
「1人はみんなのために、みんなは1人のために」。これは、アレクサンドル・デュマ原作の「三銃士」という小説の中に出てくる有名な言葉です。(英語では「One for all, all for one.」)ラグビー等のスポーツでもよく使われます。
最初にこの言葉を聞いた時に、イエス様のことを思い出しました。1人(イエス様)は、すべての人(みんな)のために十字架にかかってくださったからです。
そのイエス様の十字架は、確かにみんなのためのものでありますが、あなた自身のためでもあります。私が子どもの頃、日曜学校で「イエス様はどうして十字架にかかられたのですか」と質問された時に、決まり文句のように「みんなの罪のため」と答えていました。
でもある時期にはっきりとわかりました。
みんなとは「私」のこと、イエス様は私のために十字架にかかってくださった!のだと。
ですから、そのことを経験したすべてのクリスチャン(みんな)は、自分が受けたその愛を、少しでも多くの人に知ってもらいたいと願い、この1人の方(イエス様)のことを懸命に伝えようとするのです。
皆さんも、あなたのためにいのちを犠牲にしてくださったこの方のことを知り、その愛を素直に受け入れてください。