聖書の福音をあらゆる角度からお伝えるする月刊小冊子で、
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なお、電子書籍版についてはこちらで2025年7月まで閲覧可能です。

目次

○雑草を抜きながら

雨が降ると、庭には雑草がたくさん生えてきます。どれだけきれいにしても、また生えてきて、まるで、人間の心に湧き上がる悪い思いに似ていると思えます。このように抜いて捨てられてしまう雑草にさえ、神様は増え育つことのできる環境を与えてくださっていること気づきました。神さまが与えてくださる、人間に与えられるものは、どのように素晴らしいのでしょうか。

○詐欺

近年、詐欺事件が絶えません。詐欺の巧妙化もあるのでしょうが、「自分は大丈夫」という慢心に、私たちが気づかないことも一因では?と思われます。さて、私たちはこの人生で確実に正しい道を歩んでいけるのでしょうか。私たちに必要なみちしるべについて考えてみましょう。

○あなたはひとりぼっちではない

多くの人に囲まれていても孤立感を感じることはありませんか。しかし、あなたは決して一人ではないのです。あなたの涙や悲しみに寄り添い、その状況を完全に理解してくださる神様について聖書を通して考えてみましょう。

○清少納言が描いた光

清少納言は、藤原定子の女房として、一時、宮廷生活で輝きを放ちました。平安時代の文壇にあって、革新的な表現を駆使した清少納言は、「枕草子」で藤原定子を光と捉えて描いています。その「枕草子」第一段「春は曙」から、聖書が伝えるイエス・キリストについて考察してみましょう。

○著名人と聖書(13)【レフ・トルストイ】

ドストエフスキーと双璧をなすロシアの文豪トルストイの生涯は、死の恐怖と不安に苛まれたものでした。彼が、五十歳の時に著した「懺悔」の中で、神に対する道徳的完成を目指す生き方を告白します。トルストイの生き方や著作を通して、聖書が示す「救い」について、考えてみましょう。

Column 「父親の思い」

私には今月で2歳になる息子がいます。活発に動き回るので、よく転んでけがをします。大抵は、少し痛がるか、わずかな時間泣きますが、しばらくするとまた元気に動き回ります。
そんな息子が転んで頭をぶつけ、口の中をけがしてしまい、激しく泣いたことがありました。大きなけがにはなりませんでしたが、ひどく亡く息子を見るのはとてもつらい経験でした。

自分自身のことでなくても、自分の大切な人が苦しむのを見ることは、私たちにとって大変つらいことです。

イエスは十字架にかかったとき、「どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイの福音書27章46節・他)と父である神に叫びました。

そのとき御子の苦しみの叫びを聞きながらも、神はその声に耳を閉ざされたのです。それはなぜでしょうか。
その理由が次のみことばによって示されています。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3章16節)

このように愛するひとり子を犠牲にしてまで、あなたを滅び(罪のさばき)から救おうとする神がおられることを、ぜひお知りになってください。