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【目次】
〇技術発展と人の幸福
〇人生は一度きり
〇キリストという衣を着る
〇みちしるべアーカイブ「真(まこと)の真理」
〇著名人と聖書(第26回)「宮沢賢治~前編~」
〇コラム「人生を美しく彩られる神様」
〇技術発展と人の幸福
最近は、AI(人工知能)という言葉をよく見聞きするようになりました。AIは一般の人も利用でき、文書の作成や料理手順なども教えてくれ、大変便利そうですが、悪用する人たちは「いかにも本当のようなウソの情報」をまき散らしています。技術の進歩によっては、人間は完全に幸せになることはできないと言えます。
「この水(井戸の水)を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(ヨハネの福音書4章13〜14節)
イエス・キリストは、、ご自分を信じる人に永遠のいのち(救い)を与えることがおできになります。
〇人生は一度きり
ある旅行代理店の店頭に、”You only live once.”という英文があります。訳すと「人生は一度きり」。その後には「宇宙旅行へ行ってみませんか?」という意味の英文が続いています。これは、「一度きりの人生だから、めったにできないことを今のうちに経験しよう」という旅行代理店らしいフレーズです。
確かに「人生は一度きり」ですが、聖書では、それに続く結論が全く違います。
「若い男よ、若いうちに楽しめ。(中略)
しかし、神がこれらすべてのことにおいて、
あなたをさばきに
連れて行くことを
知っておけ。」(伝道者の書11章9節)
「あなたの神に会う備えをせよ。」(アモス書4章12節)
聖書は、「一度きりの人生」において最も大切なことは、神に会う備えをすることだと告げています。
〇キリストという衣を着る
私が実家を離れた後、ジョーという雑種の犬を飼い始めました。家族以外にはなつこうとしないジョーは、私が帰るといつも吠えました。ところが、家の手伝いのために兄の服を着て作業していたときは、ジョーに吠えられませんでした。ジョーは、服に付いた兄の臭いで、私を家族と認識したようでした。
神様と実家の犬を同列のように扱うのは大変不遜だと感じますが、次の聖書の言葉を味わいながら、神様の救いについて、少しでも理解の助けになればと願っています。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、
だれも父(神)のみもとに行くこはできません。」(ヨハネの福音書14章6節)
「主イエス・キリストを着なさい。」(ローマ人への手紙13章14節)
「キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。」(ガラテヤ人への手紙3章27節)
〇みちしるべアーカイブ「真(まこと)の真理」
2013年10月13日に、アンパンマンを描いたやなせたかしさんが94歳で亡くなられました。戦中、戦後の社会を通じて「正義は、ある日逆転する」ことを経験され、「逆転しない正義とは」と考え、「献身と愛」に行きつき「アンパンマン」を生み出したそうです。現代は、まるで逆転しないものなどないかのように動き続けています。
だからこそ、逆転しない本当のものを知る必要があるのです。
「わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世にきたのです。」(ヨハネの福音書18章37節)
と言われたイエス・キリストこそが、献身と愛によって、真(まこと)の真理を現されたのです。
〇著名人と聖書(第26回)「宮沢賢治[1896~1933]~前編~」
岩手県出身の宮沢賢治は、有名な法華経信徒、つまり日蓮宗の信者であると言われています。と同時に彼は、聖書から大きな影響を受けました。
・銀河鉄道の夜
銀河鉄道の始発は、「北十字架」と呼ばれる白鳥座(参照:今月号の表紙)で、終着駅は「南十字座」、つまり十字架から十字架への旅で、「ほんとうの幸い」を求めるのがこの物語です。
南十字座に近づいた時、「ハレルヤ、ハレルヤ」と歌い、ラッパの声が聞こえます。そして「見ているとみんなは、つつましく列を組んであの十字架の前の天の川のなぎさにひざまずいて…ひとりの神々しい白いきものの人が手をのばしてこっちへくるのを二人は見ました。」と描写されています。ここからも、賢治がイエス・キリストを意識していることが見て取れるでしょう。
Column「人生を美しく彩られる神様」
少し前の話になりますが、祖母の家に行ったとき、庭に咲く牡丹の花を見つけました。白く透き通るような色で、花びらが大きく開いている姿に感動しました。
聖書の創世記という箇所には、神様が植物や人間を創造されたことが記されています。(1章11,12節)
牡丹などの花々を色鮮やかに装ってくださる神様は、私たち人間にも多くの祝福を与えようとしておられます。
「今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、どんなに良くしてくださることでしょう。」(ルカの福音書12章28節)
これは、イエス・キリストのことばです。今から2千年前にこの方は、神様から離れてしまった人間の罪の身代わりとして、十字架で死なれました。それは罪にまみれた私たちが、その罪をきよめられ、人間本来の姿を取り戻すためでした。
神様によって罪からきよめられた人生は、本当に幸いです。そのような人が歩む日々は、神様によって美しく彩られていくままです。その輝きは、永遠に色あせることがないのです。